2007年10月28日

宮本隆治元NHKアナウンサーもスカウト経験者

宮本隆治元NHKアナウンサーさんがスカウト経験者であることが判明。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%AE%E6%9C%AC%E9%9A%86%E6%B2%BB

今日の「いつ見ても波瀾万丈」で、放映されていました。
http://www.ntv.co.jp/haran/staff/071028.html

http://hosoda.seesaa.net/article/62650279.html

ついでと言っては失礼ですが、宮本さんの検索をしている最中に千住博さん(千住明さん、千住真理子さんのお兄さん)がスカウト経験者であることも知りました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8D%83%E4%BD%8F%E5%8D%9A

http://www.rengo-mitakai.keio.ac.jp/contents/taikai/2004/web/merumaga/03.html

いいぞ。スカウト経験者の輪をいずれ広げる日のために、データはそろってきた・・・。

posted by 黒澤岳博 at 22:57| Comment(5) | TrackBack(0) | スカウティングにまつわる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2006年11月29日

ニッカウヰスキーとボーイスカウト

柄にもなく、ウィスキー好きな私。
たき火を前にして飲むウィスキーなんか、最高!
それをやりたいがために、わざわざkurongs(時々ここにコメントする実弟です)一家と待ち合わせて、たき火をしにいったりしたことがあります。

大学時代の同期に教えてもらってから、「シングルモルトウィスキー」の魅力にすっかりはまっている私は、あるきっかけから、ニッカウィスキー(本来は「ニッカウヰスキー」と記述するのが正解らしい(井戸の井の意味かな?)けど、入力が大変だからご了承いただくことにする)のメールマガジンを読むようになったんです。ウィスキー情報がいろいろ入っていて、毎回結構楽しみに読んでます。
ちなみに、ニッカウィスキーのサイトはこちら。http://www.nikka.com/index.html

昭和60年に早稲田ローバーの夏季プログラムで道南をふらふらした後、ニッカの余市工場に行き工場見学終了後の飲み放題コーナーでリンゴのウィスキー(う、名前を忘れた)をただでがぶ飲み、という経験もしている私としては、実はニッカウィスキーにかなり強い思い入れがあったりします。

そんな中、27日に届いたメールマガジンを読んでいたところ、なんと、下記のような記事を見つけてしまったのです。かなり興奮。早速「ブログに掲載していいですか?」と問い合わせたところ、快諾をいただいたので下記に掲載します。

ボーイスカウトが「地域の青少年育成」に役に立っているというとてもいい例だと思います。どこのボーイスカウトも、発団当初は地域での「熱い語り合い」から始まっているはずなんですよね。こんな「熱い語り合い」をできるような情報を提供をしっかり行うようにしていかないと、ボーイスカウトはやばい。こんな「熱い語り合い」をできるようこれからもニッカウィスキーさんにもご協力をお願いしたいところです。

こういう形で紹介していただけるのがとてもうれしいです。ニッカウィスキーさん、ご紹介ありがとうございました。
(掲載許可条件として、「掲載したことを報告する」となっているので、きっと見てくれているはず。コメントしてくれるに違いない。(いや強制になると申し訳ないので、勝手な期待と言うことで。))

出典は「NIKKA倶楽部メールマガジン  ◎◎ From the Barrel ◎◎ Vol.54 (06/11/27)」から。

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【竹鶴 威 の回想録】 『ニッカウヰスキーと私』<53>
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 昭和36年、札幌には既に一般のお客様方によるニッカ愛好の会「ニッカ
 会」があったが、創業の地である余市にニッカを応援する会がないのは
 おかしいという話が町有志の間で持ち上がり、集まって会をつくること
 になった。

 余市駅前十字街、現在の黒川町に駅前郵便局があり、当時の局長が発起
 人となって発足。札幌と同じ「ニッカ会」にはせず、新鮮味を加えよう
 と“の”の字を入れて「ニッカの会」と決めた。会員の資格は首長会の
 関連で“長”の肩書きがあることが唯一の条件。発足時の会員数は20数
 名程度であった。

 会員はひたすらニッカを愛し、ニッカウヰスキーを飲んで楽しめば良い、
 ということで会を開いても堅苦しい挨拶は無し。自分の時間に合わせて
 自由に出席できるという気軽なものであった。偶数月に開催され、開始
 時間は午後6時。当時の会費は500円で、ヒットしていた『ハイニッカ』
 (1本500円)を飲んだ。駅前の「祗園」という余市では指折りの料亭が
 会場であったが(現在はない)、女将の心意気があったのだろう、料理
 も出てひとり500円は当時としても格安の料金であった。

 昭和62年8月にはJR余市駅長の発案で岩手の会「G&G会」と共催し、
 札幌「うすけぼー」行きの列車を運行させたり、翌63年には宮城峡蒸溜
 所、青函博、秋保温泉、小牧温泉などを巡る旅行も催された。

 「ニッカの会」では「余市をより良い街にするにはどうしたら良いか」
 「子供たちの教育のあり方はどうか」など四方山話に花が咲き、それが
 きっかけとなって「余市ボーイスカウト」(現在休団中)が創団される
 ことになった。ボーイスカウトの発祥の地はイギリスで、軍人であり作
 家でもあるロバート・ベーデン=パウエルが、1907年にイギリスのブラ
 ウンシー島で子供達を集めて実験的にキャンプを行なったのが始まりで
 ある。彼の著書「スカウティング・フォア・ボーイズ」が子供達の間で
 読まれ、ボーイスカウト活動はイギリス国内ばかりでなく世界に広がっ
 ていったのである。

 最初に発言したのが私ということもあり、団委員を引き受けることになっ
 た。指導員は自営業者やお寺の若い僧侶、神社の神主など比較的時間が
 自由になる人達が引き受けてくれた。キャンプボーイスカウトの団員は
 ハイキングやキャンプを通して、自然を大切にすること、仲間を大切に
 することを学ぶ。私も参加したことがあったが、大人と子供が一緒になっ
 てテントを張り、お互い協力し合うのはとても良い教育になると思った。
 中でも印象に残った言葉が「お世話になった場所に感謝を残しても良い
 が、塵を残してはいけない」というものであった。キャンプを行なった
 後は、皆でしっかりと後片付けをして塵ひとつ落ちていないように清掃
 を行なう。これも立派な教育ではないか。

 毎日のように子供たちのいじめに関する痛ましい報道がなされているが、
 私の少年時代には、いじめなどなかったように思う。「弱い人は助けて
 あげなければいけない」が当たり前であった。小学校に通っている頃、
 「修身」という授業があった。一週間に一度、校長先生または教頭先生
 が教壇に立つ。「修身」は偉人らの様々な逸話を通じて、勤勉、努力、
 忍耐などの徳目を子供たちに学ばせるというものであった。「勝海舟は、
 貧しかった頃、借りた蘭語の辞書を一年かけて写した。「乃木大将は、
 他人に迷惑をかけてはいけないからと、雨に濡れた外套姿では電車の席
 に座らなかった」など、偉人たちの逸話には身の引き締まる思いがした
 ものである。

 ウイスキーを通じて様々な人たちと出会い、ウイスキーを飲むばかりで
 なく、社会や教育の在り方などについて話し合えるというのはとても有
 意義なことではないか。来たる12月に行なわれる余市「ニッカの会」は
 発会45周年を迎えるお祝いを兼ねた会である。どのような話が出るか、
 今から誠に楽しみである。


 ◎竹鶴 威 の回想録『ニッカウヰスキーと私』の画像付バックナンバー
  は、下記よりご覧ください。
    http://mail1.asahi-internet.com/c/abcyaN31yrmM3Wah

 

posted by 黒澤岳博 at 12:03| Comment(10) | TrackBack(0) | スカウティングにまつわる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年06月03日

ボーイスカウトに関する記事

やられた・・・。

黒澤は、日本で一つだけ「これだけは誰にも負けない」と思っていたことがありました。それは、アメリカの文化とボーイスカウトの関係を、 NPO(≒結社(アソシエーション))から読み解けるのではないかという問題意識を持っていることでした。しかし、 同じように考えている方がいて、本になっていました・・・。

「結社の世界史5 クラブが創った国 アメリカ」(綾部恒雄編・2005年・山川出版社)

188ページから23ページに渡り、 アメリカにボーイスカウトが入ってから現在に至るまでの詳細がシートンやビアードとの関係とともに描かれています。特に、2000年以降の3G (godless,gay,girls)といった視点についても多少なりとも説明されているのがこれまた悔しいところです。もっとも、 ボーイスカウトから見るとまだまだ記述が物足りない感じ。まあ、しょうがないですが。

また、早稲田がらみで立ち読みしたのが次の本。

「早稲田ラグビー再生プロジェクト」(松瀬学・2003年・新潮社)

これは、早稲田大学ラグビー部の復活を果たした清宮克幸監督とそのスタッフの活躍について描かれたものなんですが、 清宮監督の生い立ちに関する記述で、清宮監督のお母さんが「リーダー的な克幸のルーツはボーイスカウトです」 と34ページではっきり書いてくれています。あまりにうれしくて、当然買いました・・・。

いずれにしても、「もっとボーイスカウトについて、ボーイスカウトが書いていいだろ?」という気持ちを持っています。 アメリカのことを書いた本だからしょうがないのかもしれないけど、上の本を読んでいく限り、 国内のボーイスカウトについては全くふれられておらず、ボーイスカウトはある意味「秘密結社」になりつつあります。やばい。社会ずれを感じます。 少なくとも国内に20万人近い(残念ながら、とうとう20万人を切ってしまいましたね)加盟員がいて、そこここで活動が展開されているんだから、 もっと、自分たちの体験を世に問うていくべきだろうと考えています。

posted by 黒澤岳博 at 20:29| Comment(3) | TrackBack(0) | スカウティングにまつわる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年01月05日

ボーイスカウトがきっかけで・・・

明けましておめでとうございます。

新年から、ネットサーフィンしていたら、こんなサイトを見つけました。

http://www.tintin.co.jp/index.html?=herge.html

エルジェさんの作品を紹介しているサイトです。すごく有名みたい。 私は知りませんでしたが。

エルジェさんに関する紹介がありましたので、下記に引用します。

ブリュッセル生まれ。少年時代はボーイ・スカウトに傾倒し、その頃よりドローイングを開始するが1923年より本格的に 「ベルギー・ボーイスカウト」誌に作品を発表しはじめる。1928年に新聞の若者向けウィークリー増刊号「小20世紀」のチーフ・ エディターとなり1929年には自作の「タンタン、ソビエトへ」が同紙に掲載。またたく間に人々の人気を博した。それ以後、 タンタンとスノーウィをコンゴ、アメリカ、中国、はたまた月まで送り続け、 世界中を駆け巡る23話のタンタン冒険シリーズを我々に残している。ヨーロッパ・コミックの父と称される彼の作品は、 今日においても様々なアーティストに影響を与え続けている。

ボーイスカウトに傾倒したというのがうれしいところです。この方、1907年生まれなので、16歳からベルギー・ ボーイスカウト誌に作品発表をしていたと言うことですね。そして、それがきっかけで、アーティストに・・・。

「ボーイスカウトがきっかけで」というお話があると、同じ活動をしている者としてとてもうれしいですよね。 日本のスカウティング誌もこういうきっかけになれるようになるといいのに・・・。

posted by 黒澤岳博 at 16:35| Comment(0) | TrackBack(0) | スカウティングにまつわる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年10月24日

ハンモックテント

で、このサイトには、ハンモックテントを買ったという記事もありました。

http://homepage1.nifty.com/jsb/

この方がお買いになったのが、なんと「scout」という商品。アメリカの通販で、そのサイトを見てみました。

http://www.hennessyhammock.com/index.htm

予想通り、ボーイスカウト・ガールガイド向けとなっていました。アウトドア用品で、「スカウト向け」というのがしっかり根付いているのは、うらやましいですね。日本の場合は、そういう位置づけの商品、ないものなあ・・・。

posted by 黒澤岳博 at 21:41| Comment(9) | TrackBack(0) | スカウティングにまつわる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年09月19日

グレゴリーも・・・・

バックパック専門メーカーのグレゴリーってご存じですか?

http://www.gregory.gr.jp/

上記サイトのブランドストーリーに書いてあるバックパック作成のきっかけが次の通りなんです。

ウエイン・グレゴリーは14歳の時、ボーイスカウトの最高位に値する勲功記章(特別の功績に対して与えられる記章『イーグルスカウトのことだと思います【黒澤注】』)プロジェクトの一環として、初めてバックパックを自作しました。それからまもなく、ボーイスカウトの地方大会で、カリフォルニア州、サンディエゴにあるアウトドア専門会社「アドベンチャー16」の創始者アンディー・ドロリンガーに出会いました。アンディーはウエインのデザインに感銘を受けました。それから2〜3年の間、ウエインは「アドベンチャー16」の工場へ頻繁に出入りして、そこで自作のための材料を揃えながら、バックパックのデザインをいろいろ考案しました。そして、ついにはこの若い会社で働くようになりました。

大きな会社なのに、設立のきっかけがボーイスカウト。うーん、日本でもこういうこと、ないですかねえ。ベンチャースカウトが自分の夢に出会い、そのままそれを仕事にしたって話ですよね。

ちなみにこのネタ、福岡17団のつつみさんからお教えいただいたんです。つつみさん、情報提供ありがとうございました。


 

posted by 黒澤岳博 at 08:26| Comment(0) | TrackBack(0) | スカウティングにまつわる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2004年08月31日

scout gear社はボーイスカウト関連会社だった

名前は聞いたことがありました、scout gearという名前のアウトドア用品会社。
名前の由来も気になっていました。
やっとサイトを見つけて、「about us」という自己紹介のページを見たところ、やっぱりスカウト関係者が、スカウトやその他の青少年の親のために、青少年向けのアウトドア用品を提供するために作ったと書いてありました。
 
今黒澤がやりたいことって、これかもしれない・・・。
posted by 黒澤岳博 at 22:02| Comment(0) | TrackBack(0) | スカウティングにまつわる話 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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