最近、特に行政の青少年関連の文章を読んでいると「規範意識の欠如」という言葉が気になっています。
埼玉県青少年白書 http://www.police.pref.saitama.lg.jp/kenkei/koho/kohosiryo/hakusyo/syonen_hikou19/pdf/3_1.pdf
私は、規範意識の欠如というのは次のような過程を経ているのではないかと感じられます。
規範意識の欠如
↑ 規範「制定」意識の欠如
↑ 主体性の低下
↑ 中央集権的決定過程の拡大(自主的決定過程の欠如=「誰か知らない人が決めている」という感覚)
つまり、規範意識の欠如の対策は「自分で決める」ということが常々身の回りにあればいいのではないかと考えているのです。
で、振り返ってボーイスカウト。
BSで、私たちが何が楽しかったのか?
グリーンバー会議で、「来月のプログラム」を決めているときが一番楽しかったことを覚えています。自分たちで「こんなことやりたいよね」と頭をつきあわせて考えているときでした。例えば、クリスマス会の出し物をなんにするか。ハイキングのコースをどのようにするかなどなど・・・。
そこから考えると、私が楽しかったボーイスカウトでの出来事は、どんな行事でも「自分で決めている」と感じることができることが重要で、指導者はそのような流れになるように、アプローチすることが重要なのだろうと感覚的にとらえています。
これはつまり、「中央集権的な決定過程ではない」ということだと感じています。中央の人々にお任せするのではなく、時間がかかったり調整の苦労があるかもしれないけど「自分たち」で決めていく過程が重要であるということ。
逆に言うとボーイスカウトは「地方分権的決定過程の教育」と言うことができるのではないかと思います。そうすると私には、次のように考えられるのです。
隊活動では各班での決定事項の充実
→隊活動よりも班活動へ
→地区での活動の視点の転回(班・組をより独立させる)
結果として、最近何となく多く見られる「地区での活動」は「原隊の班・組活動の延長」に存在する必要があり、「各隊のスカウトを全て混ぜての活動」や「地区スタッフが企画・実行する事業」は余り好ましくないという判断が重要になると私には思えるのです。
「スカウトが判断できることは、できるだけスカウトに判断させる。」
これを徹底しない限り、主体性の低下は免れられないし、そもそもボーイスカウトの楽しさのベースには「活動を自分たちで決めているのだ」という意識なのだと思うのです。ここを徹底しない限り、加盟員も増えないのではないかと感じます。
確かに「スカウトの判断」を待つのは、じれったいときがあります。しかし、それを待たずにいて「何がスカウティングなのか」「何が教育なのか」をということ再度確認したいところです。





私の薄〜いスカウト経験の中でも、シニア時代に夏キャンプの計画書を作ったときのことは、とても印象に残っています。
高校一年生で八ヶ岳を縦走した私たちは、完璧な青空の下、2899メートルの山頂で上空を見上げ、あと100メートルちょっと上に3000メートルがあるんだなぁ、と思いました。
そうして翌年、日本で2番目に高い北岳(3192m)へ上る計画を立てることを自ら志願したのですが、結局病気で自分だけ行けなかったんです。
最優先してた部活の夏合宿も、途中で帰ってくる始末・・・。病気の方は、部活を辞めたことで治ったんですけど。
社会人になって数年後、山が好きな同僚と一緒に北岳に登った事を、OB会の席で同期に報告できたことが、自分としてはうれしかったんですね。
自分たちで計画を考えて実行するって事には、自然とそこに思いも入っていくし、やりたいという気持ちも強くなるでしょう。
そういうことを、若いときから経験させてあげられる教育が、ボーイスカウトの特徴だと思います。